握手

久々に文を起こします。

よろしくお願いします。

 

 

先日、久しぶりに握手をする機会がありまして。

普通握手って〈出会い〉の時に使われる物だと思うんですが、今回は〈別れ〉の時に登場しまして。

理由はこの後に語るかもしれないし、語らないかもしれないし、

それこそ一生その〈別れ〉の理由を知らされない人もいるんだと思う。

知らされないっていうか、絶対に言ってやるもんか の感情なんですけど。

それはそうと、僕はその握手を思い返した時に凄くしんどくなってしまいまして、その理由を考えてまた凄くしんどくなってしまいまして。それくらい心に「来る」握手でして。

 

結局「なぜしんどくなったか」を自分なりに考えた結果、

それは「自分はここにいれば大丈夫」みたいなセーフティゾーンを失ってしまったから、なんだと。

ある種の帰属意識というか自己承認と言うような。わからんですけど。学ねーな。

会社で仕事を与えられる。

部活でスタメンになる。

クラスでふざけあう。

いいねを貰う。

褒めて貰える。

多分そんなやつ。

そんなセーフティゾーンが握手1つで「満期です。じゃあバイバイ!」と失われた感じがしてしまった。

その握手のタイミングとかニュアンスの軽さ(価値観の相違)も相まって、多分(凄くしんどいなあ)と思ったんだろう。

 

 

働く意味なんてないけど、社会不必要の烙印が嫌だからとりあえず会社に行く。

ただ楽しくて始めたスポーツが、いつしか自分のブランド力維持のアクセサリーになる。

クラスで孤立したくなくて、運動部の愛のないイジリ(ド下手)にぶら下がる。

異性から貰えるいいねをステータスにしないと心が満たされない。

 

セーフティゾーンはリスクヘッジ出来ない。

「◯◯が倒れたけどまだ△△がある」なんて事はきっとない。

そんなドライなセーフティゾーンなんてきっとない、愛着がないから。依存がないから。

だから皆、それぞれのセーフティゾーンを守ろうとして後ろ指刺されたりする。

後ろ指指してる人にも賤しく守ってるセーフティゾーンがあるのに。

そして、今回僕はそのセーフティゾーンを失った。

だから、しんどかった。

 

…ここまで書いて自分で思った。

「俺めちゃめちゃ愛着湧いてんじゃんあのバンドに!」

ずっと(マジでウマが合わねーなクソが)と思ってたのに。

セーフティゾーンは去ってわかる場合もあんのか!と、また一つ学んだ話。